2016年3月29日火曜日

三崎で見た理髪店

先日三崎港に出掛けた折に、バスの車窓から発見した渋い理髪店です。
気になったので、帰り道に立ち寄ってみました。

16.3.17 神奈川県 三崎東岡

これが外観です。
完全にここだけタイムカプセル状態です。

16.3.17 神奈川県 三崎東岡

モルタルの色合いや手前の樹木との取り合わせなど、実に映画のセットのようです。
雰囲気はどことなく南の島の理髪店をイメージさせます。

16.3.17 神奈川県 三崎東岡

壊れかけた日よけも渋い。

16.3.17 神奈川県 三崎東岡

横から見た理髪店。
住居部分も渋いです。


2016年3月27日日曜日

上毛地区の駅と通運事務所

上毛地区の駅舎と通運事務所から本日は何点かご紹介します。

新桐生駅舎 87.5.16 群馬県 桐生

こちらは東武線の新桐生駅。
伝統的な駅舎が健在でした。
駅前広場が広いことと合わせて国鉄の駅のような雰囲気です。

87.5.16 群馬県 桐生

その桐生の駅前にあった系列の通運事務所。
コーナーに玄関を持ってきた洋風建築です。


足利駅舎 87.5.16 栃木県 足利

こちらは国鉄両毛線の足利駅です。
アールデコ調の特徴的なデザインの駅舎です。


87.5.16 栃木県 足利

こちらも駅前にあった立派な通運事務所。
後ろの倉庫も煉瓦造りです。

2016年3月23日水曜日

掛川で見たいすゞBX

車で走っていて偶然にバスの廃車体を見かけることは以前は良くありましたが、最近あまり無くなりました。
しかし、そんな場合でもボンネットバスの廃車体はそう簡単にはお目にかかれませんでした。

88.12.4 静岡県 掛川

こちらは、珍しくもそんなボンネットバスを見つけた時のものです。
場所は静岡県掛川市。
スクールバスとして使われていたもののようです。

88.12.4 静岡県 掛川

バスはいすずのBXですが、最晩年タイプでは無くもっと古いものでした。
ボンネットの形状もクラッシックです。

88.12.4 静岡県 掛川

街中で行きなり見つけた貴重なボンネットバスでした。

2016年3月20日日曜日

門島にて  

飯田線の中部地区は山間の山岳区間を走行する閑散区間です。
門島駅はそんな場所に立地していました。
33年前の飯田線門島駅です。

83.3.20 長野県 門島

懐かしい木造駅舎はサッシに改造されること無く、きれいな姿をしていました。


83.3.20 長野県 門島

駅舎から右手を振り返ると道路も未舗装です。
建物は鉄道職員の官舎です。


2016年3月16日水曜日

持子沢のバス待合所

青森県五所川原のはずれにあったバスの待合所です。

97.4.23 青森県 持子沢

既にかなり傷んでいますが、どこかモデラー心をくすぐるデザインです。
厳しい気候の地域なので、このような待合所も必要になって来るのでしょう。
「持子沢」という地名もどこか北国らしいです。

2016年3月11日金曜日

あれから5年 志津川の建物

あれから5年経ちました。
三陸方面の建物行脚は東北勤務時代に何度か行っておりますが、掲載を遠慮しておりました。
本日は節目の日と思い、その中から志津川付近の建物の記録をお届けすることにします。

99.5.20  宮城県 志津川

宮城交通の志津川車庫です。
表記は合併前の宮城バスのまま使用されていました。


99.5.20  宮城県 志津川

市内にあった公共建物。
用途は良く調べずに去ってしまいました。

99.5.20  宮城県 志津川

正確な場所は記憶に無いのですが国道沿いで見つけた洋風建物。
かなり老朽化していますが、立派な建物です。

99.5.20  宮城県 志津川

旧道沿いにあった建物。
もう使われていないようでしたが、板壁の風化具合や道路との位置関係など模型化の参考になりそうな建物です。

99.5.20  宮城県 志津川

反対側です。

この地方の復興を祈念して締めと致します。


2016年3月7日月曜日

米子の洋館散策

米子の洋館を出張の折、早朝散歩してみました。


06.4.19 鳥取県 米子

いかにもな地銀の銀行建築です。

06.4.19 鳥取県 米子

こちらはちょっと凝ったモルタル造りの商店。

06.4.19 鳥取県 米子

元は理髪店であったようです。
右書きの文字が渋いです。

06.4.19 鳥取県 米子

こちらは有名な大店ビル。

06.4.19 鳥取県 米子

これまた渋い街灯が改造されながら残っていました。

2016年3月3日木曜日

金木の斜陽館

先日太宰治の次女で、作家の津島佑子さん逝去されました。
津島さんは家族や人の生死といったテーマを突きつめた作品を書かれていました。
それに因んで、太宰治の生家の斜陽館初訪問の画像です。

82.3.4 青森県 金木

余りにも有名な「斜陽館」。
建物は1907(明治40)年に太宰の父で衆議院議員であった津島源右衛門が建てた豪壮な建築です。
太宰自身が住んでいたのは中学進学までの12年間であったそうで、1950年の太宰の死後に津島家はこの家を売却して、その後は太宰治文学記念館を併設した旅館として利用されていました。
その後、経営悪化で旅館は閉業して、1996年に金木町が斜陽館を買い取り、町営の文学記念館として再出発して現在に至ります。

82.3.4 青森県 金木

この訪問当時は旅館を営んでいた時代ですが、北海道旅行の行きがけの日帰り訪問で外観を見るのみに留まりました。宿泊をしてみたかった建物です。

82.3.4 青森県 金木

青森県産材のひばをふんだんに使用した建物は1階に11室、2階に8室がある大豪邸で、外観からは想像できませんが、内部には洋風の旧銀行店舗部分や階段室、応接間等もあります。
また、一階奥の炊事室部分は大きなくトラス構造が見て取れるなど見どころの多い建物です。

現在は、太宰治の生家としての記念建造物であるとともに、近代和風建築の大豪邸の貴重な遺構とした国の重要文化財に指定されています。