2012年11月9日金曜日

羽後交通 象潟営業所

羽後交通最西端、象潟を訪問したのは鬱陶しい梅雨の季節でした。
88.6.4 秋田県 象潟
営業所外観です。
改装されているものの、随分と和風な事務所です。

88.6.4 秋田県 象潟
車庫建家、反対側からです。

88.6.4 秋田県 象潟
営業所の裏側は残念ながら撮っていません。
側面が唯一写っているバス写真です。

88.6.4 秋田県 象潟
うら寂しい象潟の街並み。

4 件のコメント:

  1. こんにちは。
    私がここを訪れた2003年には、車庫は現存していましたが事務所は新しい建物に変わっていました。こんな味のある古い建物があったのですね。車両も自社発注のRDやBAなど、この時期に全国を回られていたのが羨ましいです。

    ところで、この地方は新潟と同じく瓦屋根が普通に見られるのですね。山形はトタン屋根で、古い建物+瓦屋根は殆どありません。こういう違いも興味深いですね。

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    1. kykさん
      こんにちは。
      kykさんもあちこちのバス巡りされていますね!
      自分が回ったのは古い電車が激減した90年代に入ってからで、ちょうどバス窓のモノコック車がスケルトン車に代替する頃でしたので、ある意味色々なバスが見れる最後の時期だったかもしれません。
      もっと早く70年代に電車と一緒に駅前のバスを撮っていればと悔やまれるのは、どの世代も共通の思いかもしれませんね。

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  2. はじめまして。
    自分は24才学生、羽後交通の本社がある秋田県横手市出身・在住です。
    実家(過疎地)はバス路線に面しており、高校生までは何度もお世話になっていました。

    各写真の日付を見ましたが、いずれも驚くべきことに自分の生まれた4日後でした。
    (88年6月1日生まれです。)
    写真が撮られた当時、自分は病院のベッドの上で、赤ら顔ですやすやと眠りについていたと思います。
    母は由利本荘市(当時は本荘市)の出身で、象潟(現在はにかほ市)とはほぼお隣なほか、象潟には
    叔父(父の兄弟)が住んでおり、かつてTDKの管理職だったと父から聞いています。TDKは現在、
    経営不振による工場の撤退が進んでいますが………………

    写真の象潟営業所は、過疎化による路線の廃止が進み、少し前に「案内所」に切り替えられ、バスの
    常駐はなくなりました。営業所の機能は、すべてお隣の本荘営業所に集約した形です。

    自分が生まれたのと4日違いで、このような写真が撮られておりましたことに感銘を受け、コメント
    いたしました次第です。








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    1. 横荘交通さん
      はじめまして。
      お生まれになった4日後に訪問していたというのは、何か不思議な縁を感じますね。
      横手の街は落ち着いた街並みが好きで何回も訪問しました。
      平源旅館にも泊まりました。
      バスはどの地方でも路線撤退が続き、こんな風景はあまり見られなくなりました。

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