2021年10月23日土曜日

雲上の楽園。

 岩手県の松尾鉱山には『雲上の楽園』と呼ばれたアパート群の廃墟が今なお残っていることで有名です。

先日、用務でそちらに関連する施設を見てきました。


こちらは案内された松尾鉱山跡地の中和施設。
鉱山から出る坑廃水は、強酸性で多量の2価鉄イオンを含み、大量の水を連続的に処理する必要があることから、「バクテリア酸化・炭酸カルシウム中和方式」の新中和処理施設がもうけられました。
奥にはここで処理した汚泥を貯める沼があります。
施設の方のお話では、この作業は半永久的にしないといけないそうです。
原発とは別の意味で負の遺産の処理に大変さを知りました。
奥には『雲上の楽園』とも呼ばれたアパート群の廃墟があります。

松尾鉱山には最盛期の1960年には人口1万3594人にまで増えましたが、その後硫黄鉱石の需要が激減し、松尾鉱山は1969年には倒産してしまいます。

その後黄鉄鉱に絞った新会社も1972年に倒産し、閉山しています。その時の負の遺産を処理するのが上記の中和施設です。


緑ヶ丘アパートと呼ばれる炭鉱夫の住宅は、標高が約1000mの地に建設された住宅群で、西の軍艦島などと並び、『東の軍艦島』とも呼ばれる日本最初期のコンクリートアパートでありました。


現在残っているのはコンクリート造のアパート11棟だそうです。このアパートは当時の最新技術・設備で建設され、東京や大阪などよりも早く最新設備を取り入れるほどであったといいます。その一例として、水洗トイレ・セントラルヒーティングなども備えていたそうです。

また、スキー場があるほどの豪雪地帯に立地していることから、雪の中でも行き来できるように各棟間は内部で連楽通路で結ばれており、大階段や共同浴場、さらには建設当時岩手県内では2校しか無かったというコンクリート造りの学校施設まで併設されていました。



こちらは独身者向けの至誠寮。一連のアパートとは異なる場所に位置しています。

これ以外に木造住宅群もありましたが、これは延焼実験という名目で全て燃やしてしまうというワイルドな処理がなされています。


麓の資料館も見てみました。

パンフレットにもアパートの姿が掲載されていました。

2021年10月16日土曜日

湊にあった商店

 中央区の湊付近は古い建物が多く残る場所でした。

今はさすがに数を減らしていますが味のある建物はまだ残っています。

12.9.25 中央区 湊

一見モルタル造りの普通の建物ですが、正面の屋根裏窓があることでちょっと変化があって面白い建物に見えます。
すでに廃屋になってから時間が経っているようでした。
屋根には盛大に草と樹木が生えています。


左側から見ても屋根部分が凄いことになっています。

奥の建物も解体されていましたので、この建物もその後解体されたものと思われます。


2021年10月8日金曜日

横手の平源本店

 横手で一番好きな建物が平源本店です。

88.6.5 横手

最初に見たのは1988年。

90.9.30 横手


二年後には念願の宿泊をしました。


平源本店、正面からは洋風のホテル風ですが、実際は木造の和風旅館です。

97.8.14 横手

三回目は1997年のお盆。

08.1.25 横手

四回目は出張の行きがけにご機嫌伺に立ち寄り。


左に並んであった平利旅館は無くなっていました。

88.6.5 横手

隣の旅館はこんな感じでしたが、既に解体されていました。