岩手県の松尾鉱山には『雲上の楽園』と呼ばれたアパート群の廃墟が今なお残っていることで有名です。
先日、用務でそちらに関連する施設を見てきました。
松尾鉱山には最盛期の1960年には人口1万3594人にまで増えましたが、その後硫黄鉱石の需要が激減し、松尾鉱山は1969年には倒産してしまいます。
その後黄鉄鉱に絞った新会社も1972年に倒産し、閉山しています。その時の負の遺産を処理するのが上記の中和施設です。
緑ヶ丘アパートと呼ばれる炭鉱夫の住宅は、標高が約1000mの地に建設された住宅群で、西の軍艦島などと並び、『東の軍艦島』とも呼ばれる日本最初期のコンクリートアパートでありました。
現在残っているのはコンクリート造のアパート11棟だそうです。このアパートは当時の最新技術・設備で建設され、東京や大阪などよりも早く最新設備を取り入れるほどであったといいます。その一例として、水洗トイレ・セントラルヒーティングなども備えていたそうです。
また、スキー場があるほどの豪雪地帯に立地していることから、雪の中でも行き来できるように各棟間は内部で連楽通路で結ばれており、大階段や共同浴場、さらには建設当時岩手県内では2校しか無かったというコンクリート造りの学校施設まで併設されていました。
こちらは独身者向けの至誠寮。一連のアパートとは異なる場所に位置しています。
これ以外に木造住宅群もありましたが、これは延焼実験という名目で全て燃やしてしまうというワイルドな処理がなされています。
麓の資料館も見てみました。
パンフレットにもアパートの姿が掲載されていました。