全国の懐かしい町並みを見て歩いてかれこれ30年近くになりました。 その時の街並み紀行とあわせて、主に余り著名でないB級以下の建物やバスをはじめとした懐かしい車たちを色々な角度から見た画像なども紹介したいと思っています。 建物の模型等を作られる方の参考になればブログ主としては大変幸せに思います。

2021年12月31日金曜日

良い年をお迎えください。

 今年も残すところ1日を切りました。

本年も弊ブログをご愛読いただきましてありがとうございました。

今年一番印象に残った奈良井の街並み画像で年末のご挨拶と致します。


それでは皆様、良い年をお迎えください。

2021年12月28日火曜日

青森県 田子にて。

 青森県南部の田子付近には懐かしい建物がいっぱい残っていました。

この建物も田子に向かう道すがら見つけたものです。

97.7.20 青森県 田子

左手は倉庫、右手は商店になっています。


片流れ屋根のこのようなスタイルのお店はあまり見かけないですね。



横から撮ったところです。

建物は道路面よりかなり下から建っているようでした。

裏側をちゃんと撮らなかったのが悔やまれます。


2021年12月23日木曜日

男木島訪問その2

 男木島2回目です。

90.1.13 香川県 男木島

男木島の集落は海沿いの急峻な地形にへばりつくように並んでいます。


どこへ行っても坂だらけ。
頭に荷物を載せて運ぶ文化が見られるとものの本に書いてあり、その通りの世界が展開していました。


どこへ行っても崖だらけ。



崖沿いの狭い路地から海が見えます。




美しい街でした。

2021年12月11日土曜日

男木島訪問その1

 1990年の1月、高松から船で気軽に行ける男木島に行ってきました。


90.1.13 香川県 男木島






出来ればこの島で宿泊したかったのですが、それを見つけられず、高松に戻りました。


2021年12月1日水曜日

寄居で見た消防分団

 埼玉県・寄居で見た消防分団です。

04.11.21 埼玉県 寄居

全体が黒く塗られた消防分団倉庫です。


扉に書かれた禁煙の文字も良いアクセントです。


2021年11月26日金曜日

お店拝見。

 昔ながらのお店の中を拝見するのは楽しいですね。

以前金沢で拝見したお店をいくつかアップします。

95.10.4 石川県 金沢市

こちらは缶物を中心とした食料品店です。



少し引いて見たお店の全景です。


こちらはあめで有名な俵屋のお店の内部です。


隅切りされた建物も魅力的です。

2021年11月21日日曜日

日通のマークが消える。

 日通が新たなCI戦略で、今後は従来からのロゴは使わなくなるそうです。

鹿ノ谷

全国にあった日通事務所は、黄土色系の塗装と丸通マークが必ずありました。

駅前には欠かせなかった日通事務所。物流の変化に伴いそれ自体が過去のものになりつつはあります。

95.10.13 王子

引き込み線用の機関車は日通マークがついたものを各地で見ることができました。こちらもほとんど見ることができなくなってしまいました。

97.6.24 青森

そして、トラックは言わずもがなです。

このカラーリングと一発でわかる丸通マークが無くなるのはちょっと寂しいことです。

2021年11月13日土曜日

新潟県 加茂駅前の風景

 新潟県の信越線・加茂駅前の風景です。

85.3.3 新潟県 加茂

記憶があいまいですが、蒲原電鉄線という鉄道を見に行った時に駅前風景を撮ったものと思います。
手前にタクシーがいますので、駅を背に駅前風景を撮ったものと思います。
左手には駅前旅館、タクシー営業所、そして駅前食堂と駅前ならではの建物が軒を連ねています。


これはちょっと歩いた場所にあった建物です。


建物の中には日通系の事務所もあったようです。
かなり老朽化が進んで、建物がかなり歪んでいます。


複雑な形をした駅前食堂。

良い味を出していますね。

2021年11月9日火曜日

西ヶ原の住宅

 北区西ヶ原にあった住宅です。

13.1.9 北区 西ヶ原

一階部分が道路に合わせて斜めになっているために、変化に富んだ外観に見えます。


全体像です。


反対側からみます。
大通りに接していながら、建物の表は脇道側にあります。


味わいがある建物です。


2021年11月2日火曜日

平和島の床屋さん

 京浜急行平和島駅からほど近い場所に渋い床屋さんがありました。

12.8.24 大田区 平和島

国道に面して建つ、ちょっと洒落たデザインの床屋さん。


不思議なのは一階部分が凝っているのに、その上は何もないのっぺらぼう。

もしかしたら以前はここに横文字でお店の名前が書いてあったのかもしれません。

今も健在なのか、最近は行っていないのでわかりません。

2021年10月23日土曜日

雲上の楽園。

 岩手県の松尾鉱山には『雲上の楽園』と呼ばれたアパート群の廃墟が今なお残っていることで有名です。

先日、用務でそちらに関連する施設を見てきました。


こちらは案内された松尾鉱山跡地の中和施設。
鉱山から出る坑廃水は、強酸性で多量の2価鉄イオンを含み、大量の水を連続的に処理する必要があることから、「バクテリア酸化・炭酸カルシウム中和方式」の新中和処理施設がもうけられました。
奥にはここで処理した汚泥を貯める沼があります。
施設の方のお話では、この作業は半永久的にしないといけないそうです。
原発とは別の意味で負の遺産の処理に大変さを知りました。
奥には『雲上の楽園』とも呼ばれたアパート群の廃墟があります。

松尾鉱山には最盛期の1960年には人口1万3594人にまで増えましたが、その後硫黄鉱石の需要が激減し、松尾鉱山は1969年には倒産してしまいます。

その後黄鉄鉱に絞った新会社も1972年に倒産し、閉山しています。その時の負の遺産を処理するのが上記の中和施設です。


緑ヶ丘アパートと呼ばれる炭鉱夫の住宅は、標高が約1000mの地に建設された住宅群で、西の軍艦島などと並び、『東の軍艦島』とも呼ばれる日本最初期のコンクリートアパートでありました。


現在残っているのはコンクリート造のアパート11棟だそうです。このアパートは当時の最新技術・設備で建設され、東京や大阪などよりも早く最新設備を取り入れるほどであったといいます。その一例として、水洗トイレ・セントラルヒーティングなども備えていたそうです。

また、スキー場があるほどの豪雪地帯に立地していることから、雪の中でも行き来できるように各棟間は内部で連楽通路で結ばれており、大階段や共同浴場、さらには建設当時岩手県内では2校しか無かったというコンクリート造りの学校施設まで併設されていました。



こちらは独身者向けの至誠寮。一連のアパートとは異なる場所に位置しています。

これ以外に木造住宅群もありましたが、これは延焼実験という名目で全て燃やしてしまうというワイルドな処理がなされています。


麓の資料館も見てみました。

パンフレットにもアパートの姿が掲載されていました。

2021年10月16日土曜日

湊にあった商店

 中央区の湊付近は古い建物が多く残る場所でした。

今はさすがに数を減らしていますが味のある建物はまだ残っています。

12.9.25 中央区 湊

一見モルタル造りの普通の建物ですが、正面の屋根裏窓があることでちょっと変化があって面白い建物に見えます。
すでに廃屋になってから時間が経っているようでした。
屋根には盛大に草と樹木が生えています。


左側から見ても屋根部分が凄いことになっています。

奥の建物も解体されていましたので、この建物もその後解体されたものと思われます。


2021年10月8日金曜日

横手の平源本店

 横手で一番好きな建物が平源本店です。

88.6.5 横手

最初に見たのは1988年。

90.9.30 横手


二年後には念願の宿泊をしました。


平源本店、正面からは洋風のホテル風ですが、実際は木造の和風旅館です。

97.8.14 横手

三回目は1997年のお盆。

08.1.25 横手

四回目は出張の行きがけにご機嫌伺に立ち寄り。


左に並んであった平利旅館は無くなっていました。

88.6.5 横手

隣の旅館はこんな感じでしたが、既に解体されていました。