また、この小説は何度も映画化をされ、その中で筑豊のボタ山や炭住、そして石炭を運ぶ汽車などのシーンが目に焼き付きました。
また、その中で登場した大竹しのぶや杉田かおるの演じる牧織江の印象も目に焼き付きました。
映画の舞台になった筑豊独特の風景、特にボタ山は是非我が目で見たく、大学時代の合宿の帰りがけに筑豊付近の鉄道の様子を見るのと合わせて行きました。
83.3.8 福岡県 後藤 |
こちらが、列車の車内から初めて見たボタ山です。
この当時は既にボタ山の撤去が始まっており、一部のボタ山には草や木が生えていたりで映画で見たような活気ある光景は見られませんでした。
83.3.8 福岡県 飯塚 |
こちらは筑豊本線飯塚駅構内から見えたボタ山です。
当時はこんな客車列車も残っていました。
83.3.8 福岡県 飯塚 |
ホームにある様々な施設が今となっては懐かしいものばかりです。
83.3.8 福岡県 田川後藤寺 |
こちらは四方向から線路が集まってくる日田彦山線の田川後藤寺駅の構内風景です。
この頃は貨物扱いもそれなりに行われていて、石炭列車こそ無くなったものの、昔ながらの光景が残されていました。
83.3.8 福岡県 漆生 |
こちらは今は無き国鉄漆生線の漆生付近の風景です。
どことなく自分のイメージする筑豊の印象に近いなあと感じた場所でしたので、ここで列車と絡めて街並みを撮ってみました。
83.3.8 福岡県 漆生 |
上の写真の列車を振り向いて撮ったものです。
踏切奥には踏切警手小屋が見えます。
そんなに列車回数が無いこんな踏切にも踏切警手がいたのが、今となっては信じられない気がします。
九州を初めて訪れたのが1969年で車窓から見える
返信削除ボタ山大きさに驚きました。草も生えていて緑の山でした。
行橋や熊本等の機関区には大勢の人たちが働いて
いました。鉄道運用に大勢の人たちがかかわっていた
時代ですネ
常夜燈さん
返信削除確かにボタ山は思ったより大きかったですね。
あんな山の上まで良くガラを積み上げたものです。
まだどこに行っても鉄道従事者が多い時代でしたね。