古い建物や街並みを見て歩くのが好きです。それもどちらかというと有名な建物よりも街中どこにでもあったようなB級建築やB級の街並みを見て歩くほうが好きです。そんな何気ない建物たちの何気ない記録です。
駅舎も他の建物もみんな鉄道時代から時が止まったようですね。こちらは訪問したことが無く、10年ほど前に後ろの新しい線路を通過しただけでした。塗装に加え、頚城バスは3Eや5Eでも非常口が側面中央にあり(写真にも写っていますね!)、田舎のバスの雰囲気満点でしたね。浦川原・松代エリアのバスは相当打撃を受けたのでしょうけど、現状どうなっているか?気になるところです。
kykさん浦川原の駅舎は鉄道線時代のままでした。この駅舎の真後ろに高架線ができたのにはびっくりしました。この駅舎、今も健在なのでしょうか?頸城のバスはまさに田舎臭いバスでした。結構な路線網を持っていたので、井笠鉄道みたいなことにはならないでしょうが。
駅舎ですが、ちょっと調べたところ、少なくとも3年位前までは現存していたようですね。東頚バスという子会社の本社として使われていた(いる)そうです。今も現役であってほしいです。もしかしたら廃止代替バスなのかもしれませんが、未だに浦川原管内も細々とした路線を維持している様子です。
kykさん調べていただき、ありがとうございました。3年前にあったのであれば、現役かも知れませんね。浦川原付近は既に頸城バスエリアからは外れていたとは・・・。地方のバスは本当に厳しそうです。
懐かしい浦川河の駅! 頚城鉄道時代のままですね。と言っても写真は25年前のことですか。今では高架線の駅で激変しているのでしょう。私が見た浦川浦の駅ではトラックから米俵を小さな貨車に積換え、国鉄黒井でまた積替えるなんてことをやっていました。軽便にしては立派な駅舎の待合室の向こうにあのホジが停車している。とても素晴らしい駅の光景でした。
katsuさん浦川原の駅は訪問時は鉄道時代のままでした。ここから米俵を小さい軽便の貨車に積み込んで10数キロ先で積み替えることがで来た時代が懐かしいです。こんなこと現代では考えられない非効率的な物流形態でしたね。
駅舎も他の建物もみんな鉄道時代から時が止まったようですね。こちらは訪問したことが無く、10年ほど前に後ろの新しい線路を通過しただけでした。
返信削除塗装に加え、頚城バスは3Eや5Eでも非常口が側面中央にあり(写真にも写っていますね!)、田舎のバスの雰囲気満点でしたね。
浦川原・松代エリアのバスは相当打撃を受けたのでしょうけど、現状どうなっているか?気になるところです。
kykさん
返信削除浦川原の駅舎は鉄道線時代のままでした。
この駅舎の真後ろに高架線ができたのにはびっくりしました。
この駅舎、今も健在なのでしょうか?
頸城のバスはまさに田舎臭いバスでした。
結構な路線網を持っていたので、井笠鉄道みたいなことにはならないでしょうが。
駅舎ですが、ちょっと調べたところ、少なくとも3年位前までは現存していたようですね。
返信削除東頚バスという子会社の本社として使われていた(いる)そうです。今も現役であってほしいです。
もしかしたら廃止代替バスなのかもしれませんが、未だに浦川原管内も細々とした路線を維持している様子です。
kykさん
返信削除調べていただき、ありがとうございました。
3年前にあったのであれば、現役かも知れませんね。
浦川原付近は既に頸城バスエリアからは外れていたとは・・・。
地方のバスは本当に厳しそうです。
懐かしい浦川河の駅! 頚城鉄道時代のままですね。と言っても写真は25年前のことですか。
返信削除今では高架線の駅で激変しているのでしょう。
私が見た浦川浦の駅ではトラックから米俵を小さな貨車に積換え、
国鉄黒井でまた積替えるなんてことをやっていました。
軽便にしては立派な駅舎の待合室の向こうにあのホジが停車している。
とても素晴らしい駅の光景でした。
katsuさん
返信削除浦川原の駅は訪問時は鉄道時代のままでした。
ここから米俵を小さい軽便の貨車に積み込んで10数キロ先で積み替えることがで来た時代が懐かしいです。
こんなこと現代では考えられない非効率的な物流形態でしたね。